tonocchoのメモ

軽い気持ちで

日本人がどうして英語ができないのか、というので少し考えた

shijinblog.hatenablog.com

上記記事を読んでみて、日本人が英語を話すことができない、という点について少し考えてみました。

大体の人は英語の基礎は身についているはず

当然、何もかも忘れていなければ、という条件はつくんですが、日本の義務教育をそこそこの成績で終わっていれば、文科省の想定では、英語を運用するための地力はついていることになります(この辺に自分が英語を勉強する人にまずは英検3級取りましょうっていう理由があります)。

第2章 各教科 第9節 外国語:文部科学省

ただ、ここで注意しないといけないのは、あくまでも基本的なコミュニケーションができる基礎が身についていること、であって、コミュニケーション自体ができるかどうか、ではないのです。なので、本当の意味で話したりなんなりするには、これらを用いてもういっぽ前に出る必要はあるかもしれません。

で、日本における英語の最大の問題はこの「一歩前に出る」という点にあるのではと思っています。

日本は英語を安心して話せる国か?

ちょっと話は変わりますが、日本は少子高齢化がひどく進んでいます。この原因は、「安心して子供を産み育てることができない」という点にあると思っています。つまり、何かをするときに「安心してできる」というのは非常に大事なんだと思います。

ということは、日本人が英語を話せない、というのは、日本において「英語を使う」ということに対する安心感がない、ということのような気がします。

中学校の時とか思い出してみると、自分は中学校までは結構本気で英語を勉強していたのですが、クラスメートからは、いちいちチクチクと発音がいけてない、とか、いつもいい成績でいいねえとか、しまいにはあいつ英語できんのマジつまんねえとあからさまにムカつかれたりしました。

ようは、英語を勉強する、ということに対してクラスメートからネガティブな評価を受け続けたわけです。最後のやつとか言われた後は、英語の授業では沈黙することにしました。あいつら英語の成績自分より低いくせにそういうことばかり突っついてくるわけです。そのせいか、今でも日本人の多くいる空間では英語を話したくないと思っています。

さすがにみんな今は大人ですから、いちいち茶化したりチクチク言ったりはもうしないんでしょうけど、結局日本人のいる空間で英語を話すことに対する不安感が拭えなくなっているわけです。他の科目ではよくできるからといっていちいち茶化されたりはないと思うんですが、なんで英語だけあるんでしょうね?他の科目成績悪かったんだから、英語くらいで輝かせてくれたって良さそうなものです。

他にも、友人が海外に行って、英語でどうにか話している横で、何も言わないくせに「今の過去形の方が良かったんじゃない?」とか「三単現のsつけてないじゃんwwwww」とか言われてうんざりしたエピソードも聞いたことがあります。

息子の中学校の授業参観で英語の授業を見たのですが、相変わらず日本的棒読み発音でてれってれで音読していたり、全部帰国子女の子供に授業の課題を押し付けようとする子がいたあたり、相変わらず英語を使う安心感は醸成されていないような気がします。先生がいくら自信を持ってはっきり大きい声で英語を話しましょう、といったところで、効果なさそうです。ALTのアメリカ人の先生がいて、ネイティブな英語に触れてたって、そんなもんです。

海外に行った人が英語を話せるようになるのは

当然英語の国にいるので、英語を使わざるを得ない、というのはあります。ですが、自分の場合は、英語の知識については、相変わらず中学校レベルのものを利用しています。多分、英語の知識としては、全体として、5%くらいしか増えていないと思います。単語についてもあんまり増えていません(聞いて意味のわかる単語は劇的に増えたけど、自分が使える単語はあまり増えてない、という意味です)。相変わらず辞書をひきながらの生活です。

海外に行った人というのは、実はレベルの差はあれど、この状態なのだと思っています。ただ、ひとつ大きく違うのは「英語を話してもいいんだ」という実感を得たということじゃないでしょうか。

安心感は得点からは得られない

TOEIC900点とったけど英語話せません!って自信満々にいう人がいます。客観的に考えて「そんなわけないだろ」と思います。そんだけ取れるなら、ある程度話せるだろうし、ちょっとトレーニングすればすぐに相当話せるようになるだろう、というのが正直な感想です。ですが、本人は英語が話せないというのです。

これって、下手すると嫌味ですよね。人によっては怒るかもしれません。ですが、その気持ちも少しわかります。ようは、英語を安心して話せないんです。とった得点は自分のものですが、安心は自分と周囲の関係の中に存在していると思います。

元のエントリーでいろんな勉強法があってなんで?という点ですが、実践した人がTOEICやらなんやらで高得点をマークしているでしょうけど、それと英語が話せないは、自分としては矛盾しないと思っています。

多分こういう人たちは、「あーあの人xxって言ってるなあ」とか「あの人困ってるから助けようかな、英語ではxxっていうよね」とか、そういう感じにはなっていると思うんですが、その言葉が口から出ないんではと思っています。結果としての評価は「英語が話せない」ではあるものの、どういうレベルで話せないかは相当違うということです。

そういうわけで、実はかなり英語ができるけど、安心感がないので英語ができない(出来るといいたくない、やる覚悟を持つパワーがたりない)、というところにいる人って、かなりいると思います。

英語を話す安心感を教育で手に入れることはできるか

つまり、日本で安心して英語を話せる、という環境が作られれば、英語を話せるという人はガバッと増えると思います。当然との程度話せるかは違うけど、「程度はともかく話せるよ!」くらいのことが気軽に言えるのがいいと思っています。で、「あー、俺の英語じゃダメだ、おい、そこのあんたどうにかしてくれないか?」みたいな状況があれば、英語を話す安心感があるっていうことなんだと思います。

では教育の現場でどうやったら英語を安心して使って良い、ということを教えられるんでしょうか。そこは大変難しいポイントだと思います。学校が教え方を工夫しても、社会として変わらないといけません。視点を変えると、子供達が中学校に入って、英語を学校で始めるまでに、何故ここまで安心できなくなっているのか、というところです。

英語の教育で問題があるとすれば

「こういう答えでないと不正解」という数学的なものを言葉の世界に持ち込んだところかもしれません。「どんな言い方であれ自分の意図が通じている以上それは正解」という経験をどこかで積ませた方がいいのかもしれません。その上で、「こういう言い方がよりエレガントである」という世界に触れさせる、的な?

まとめ

英語を話せるかどうかは、試験の得点ではなくて、安心感であると思います。安心感さえあれば、多分ハローグッバイサンキュープリーズだけでも頑張って話すような気がします。