tonocchoのメモ

軽い気持ちで

マインドフルネスは禅宗から来ているんだから寺はマインドフルネスに違いない

この記事は健康Advent Calendar 2016 の五日目の記事です。

最近本屋さんにいくと、そこかしこにマインドフルネスの本がありますね。マインドフルネス、仏教からメンタルを安定させるメソドロジーを抽出して体系化したものだそうです。

健康は体だけではなく心も

マインドフルネスがこれだけはやっている背景にはやはり心の健康というのがどれだけ大切か、ということでもあると思います。先日書いた記事でも食べ物は心にも影響するということを言いましたが、結局どんなに体が強くても気持ちが下がって入れば健康的とは言えないでしょう。

心がかなり病んだ時に寺に行ってみた

日本に帰ってから最初の一月はかなり心が病んでました。あまりにも病んでいたので、いろいろ考えた結果、「そうだ宗教だ」というなんかあれな発想になり、かと行って、別に何かの教えに傾倒するということよりは、「その宗教を実践している人と話をして何かヒントをもらおう」という思いつきでお寺を回ってみることにしました。まぁ、わかりやすくいうと、「どこか適当な寺の住職に押しかけて愚痴ろう!」ということですね。酷いですね。

話すと癒されるという話や宗派の特徴

いろいろな僧侶の方と話しているうちに教わったことなんですが、

先に書いたマインドフルネスは禅宗から来ています。ですが、禅宗とういのは、「一切の煩悩を捨てきった先に悟りがある」という宗派なので、一切合切捨て去って山奥に一人閉じこもる、という生活スタイルが推奨されています。なので、結構敷居が高い。では、一方で密教はどうか、という話です。

密教では、禅宗と同じように煩悩と悟りの関係を考えているのですが、こちらは「煩悩が全て満足すれは自然と消えて行き、悟りを開く」という考え方のようですね。つまり、心の平常を保つためには、「煩悩をコントロールする」という方法と、「煩悩を満足させる」という方法があるようですね。

身口意という考え方

もうお寺をまわりすぎてて、どのお寺の住職さんに伺った話かは失念してしまったんですが、「身口意」という言葉があります。これは「振る舞い、言動、自分の意思が一致していないと苦しい」ということだそうです。例えばビジネス的な理由で心にもないこと言わなくてはならない時、とか、やりたくもないことさせられる時がありますが、こういう時は苦しいということだそうです。なので、どんなブラック企業でも振り切れちゃってばりばりやっている人が意外と持つのは、ある意味身口意が一致しているんでしょう。

バラバラの身口意を一つにする

で、ここからが本題なのですが、お寺を回ったり、マインドフルネスの本を読んだりしているうちに、この身口意を一致させる、というのが重要なのだろうと理解しました。とは言え、いつでも一致するような人はなかなかいないかもしれません。なので、ここに宗教のメソドロジーを取り込み、定期メンテナンスとして、ずれた身口意を揃えるのです。

例えば、瞑想、写経、と行ったものがそれに当たります。これらをやる時は完全に集中するので、やった後は、結構気持ちも落ち着いていて、その後の自己分析を落ち着いてできます。

そういうわけでLet's般若心経

宗教を実践している人というのは、一体どうやって自分の心を安定させているのか、という話を聞くのはとても大切だと思いました。もし、機会があれば話してみるといいと思います。

もし、住職さんに話しかけるのに気がひけるのであれば、とりあえず本堂でお経を念じて、御朱印ください、を皮切りに「ちょっと質問していいですか?」などと聞けばいいかと思います。訪ねて来た人と会話をする、というのも大事な修行の一環なので、断る人はいないということです。確かに、断られることはありませんでした(当然有名なお寺の場合はめちゃくちゃ忙しいので、御朱印の対応は職員の方がやっているので、そういうお寺の住職さんと話す機会はないですねw)。

ちなみに、御朱印を頂く時に、きちんと般若心経を唱えてからいただいていますアピールすると向こうも気持ちよく応対してくれたり、場合によっては、住職さんに拝まれてむしろ自分が恐縮したりもします。

まぁ、僧侶の方々が皆自分にとって心地よい人かというとそうでもなくて、快く話す人、もういいですっていうくらい話が終わらない人、結構つっけんどんな人いろいろですので、いくつかお寺を回って合う人を探してもいいと思います。