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tonocchoのメモ

軽い気持ちで

移民という存在は何かという話

自分がNZへの移住を頑張ってて肌で感じたことを書きます。というのも

news.livedoor.com

この記事を読んだからです。これまでの中国はわからないけれど、今後中国は中国に住みたい外国人を選別するようになる、ということです。

で、この記事ではクダ巻いた感じになってるかたもいるようですけど、こちらからしたら、逆に「なんでこれやってなかったの?」という感想です。あと、出張で中国に来るような人って、これ関係あるのかな?というのも疑問。

移民とは何か

すごい昔は流浪の旅人がその国にふらっと住み着いて、というのが移民だったのかもしれませんが、今の移民は「自分の国にとって利益になる外国人を移民として認める」というふうになっています。そのための査定として移民国家はだいたいポイント制度を導入しています。

自分が確認した中では、オーストラリア、ニュージーランド、カナダがポイント制度でした。

どうやって国は人の価値を認めるか

記事の中にノーベル賞級の人じゃなければAランクにはなれない、と書いてありますが、「中国が移住を推奨する」ということは、国家自らスカウトに来たいくらい優秀な人材ってことでしょうから、それはそうだと思います。Bランクは中国政府が設けた枠の中で住むかどうかを決める、と言うことですね。

ようは年間移民枠何万人とか決めて、その中でやってこうってことじゃないかな。

Cランクは「これまで頑張ってくれていたけどもう中国にとってメリットないわ、ごめん、君たちはいないよりマシだったくらいなの」って言う人でしょう。ただ、ギリギリCランクで涙を飲む人は結構いるかもしれません。

不条理な位置に置かれる人はやはりいる

ただ、中国人を雇い、何年も中国でビジネスをしたという実績があっても、制度の上で変なところにはまり込んで住めなくなる人もいると思います。ただ、そういう細かさを追求した制度設計はしない、というか「よくわからない」所の人をいちいち査定したらきりがないから「明らかに住むに適した人」でなければ斬って捨てるんでしょう。移民国家の闇ですね。

ただ、現地のコミュニティリーダーの人の口利きで特別ポイント加算とかもあるかもしれませんから、どうしても住みたいならできることはなんでも試すといいと思います。

手のひら返しは結構ある

移民制度というのは、その国の都合によって決まります。いくら外国人が「その国のために長い間頑張ったのに!」と思っていても、彼らの都合ではありません。

例えば、何年も前にオーストラリアで技術移民として認めるリストから、調理師と美容師が突然削除されたことがあります(ニュースでは半年くらい前から消されるという噂はあったので、優しいリークがあったのかもしれません)。この時も高い旅費と学費を払い、時間をかけて学部を出ようとしていた人たちが巻き込まれたことは言うまでもないでしょう。

ひょっとしたら学校に行く傍現地のお店でバイトもして、それなりに受け入れられた人もいたかもしれません。そんな人も永住権は取れなくなったのです。

NZでも、ポイント制度が結構変わっていて、例えば、オークランド外で就職すれば三十点余計にもらえる、とか、直近では、永住権はIELTS6.5が必須になりました(これに変わるものはレベル8の学部をでるとかどのみちIELTS6.5が必要なもの)。他にもちょこちょこあります。これまでは現地企業で1年働けば、英語ができるとみなしてくれていました。が、実体としては、中国語しかわからない店員とかゴロゴロいました。

なので、去年までは「英語ができないことにも目をつぶろう」としていたわけです。が、今後はもう目をつぶりません、英語ができないならダメです、とはっきり言ったと言うことです。これもランク付けですね。

優先するのは自国民

移民国家にとってのジレンマは、「移民ばかりに仕事を与えると自国民の失業率が上がる」と言う点です。なので、移民に就労許可を与えることはなかなかありません。NZでふらっと来た外国人にワークビザを発給する時は、政府が「なぜこの人なのだ?同じことができる現地の人がいるならその人を雇いなさい」で終了するため、企業としても結構な時間と労力をかける必要があります。

例えば、「1ヶ月以上求人広告を出して募集する」というのが有名です。で、その広告に募集して来た現地の人がいれば、その人を雇う必要があります。ただ、感じたこととしては、「募集して来た人の採用を見合わせた理由の正当性」は問われていないかもしれません。そんなわけで、Seekにはワークビザのための釣り求人が跋扈することになっているわけです。この辺もそろそろ移民局動き出さないのかな・・・こっちとしては結構迷惑なので。

まぁなんにしても、雇う人がその人のために1ヶ月間政府と戦うために働いてくれるくらい気に入ってくれたなら、ラッキーですが、なかなかないと思います。

ところでその国にとって利益になるとは

移民に求めるのは、その国にとって利益になる人です。と行っても政治家とか偉大な指導者、とかではなく、「その国にとって足りないことの穴埋めをしてくれることを信頼できる人」です。

例えばNZの場合は、

  • 手に職を身につけた人が来てくれて、技術職の不足を補ってくれる(技術部門)
  • たくさんのお金を投資してNZの経済を活性化してくれる(投資家部門)
  • 起業して雇用を創出してくれる(起業家部門)

です(細かいことは省きますが)。で、それをしてくれるに信頼できるかどうかを、学歴、職歴、持ってくるお金の量、起業の経験年数などで計るわけです。いきなりNZに来て、「これまで会社やったことないんですけど、起業したいからビザください!」っていうひとを認めると、政府としてもわざわざ税金つかってリスクをしょいこむことになりますからね。

投資家部門でも、最低金額は300万ドルだったかしら。昔は銀行に50万ドル預ければ永住権が出たって言うんだからこの辺も手のひら返されまくっていますね。

まとめると

中国のランク付けは、移民国家ならどこでもやっていること、だけど制度としてまだ荒いかもしれませんね。不条理に外国人を追い出そうとしているんじゃなくて、今いる外国人の中で改めて国に利益をもたらす人を定義し直した、と言うのが正しい解釈かもしれません。

あと、「これまでこんなに頑張ったのになんで!?」というのは、住んでいる人の都合であって、住まわせる側は自分たちの都合で住んでいいかどうかを決めるし、そっちが正当だ、と言うことも忘れない方がいいでしょう。

おしまい。

新年早々停電

昨晩停電があり、今朝の9時くらいまで完全復旧にかかりました。どうも電柱が壊れたんだとか。

せっかくなので、星空を撮ってみようと思い、空に向けてカメラを構えてみました。

f:id:s-tonouchi:20170102130033j:plain

あまり取れなかったw所々にある白い点々が星です!

どういう設定にすればいいのかとか調べてから取ればよかったですね。事前調査大事

2017年、逃げ恥

世界中の皆様に言えることは、今日から2017年という西暦における新しい一年であり、仮にお使いの暦が何であれ、西暦の上では新年ですから明けましておめでとうございます。

今年は改めて学校も始まりますから、勉学に勤しむ一年となりますので、目標も立てるまでもありませんね。

新年一発目

NZでは元旦でも日常です。特にお正月という風習はないので。なので、ガーデニングをやりました。大晦日の昨日から初めて今日までやったので、足掛け2年、長い道のりでした。

日本にいる間に妻がキュウリ、ナス、トマトの苗をある程度そだててくれていたので、それを改めて畑に移植しました。もうちょっと育ったら支柱を立てますよ。

f:id:s-tonouchi:20170101142952j:plain ナス

f:id:s-tonouchi:20170101142956j:plain キュウリ

f:id:s-tonouchi:20170101142940j:plain トマト

畑に土を入れるまで

畑に土を入れるまでですが、以下の工程となります。

  • 畑の雑草を処理する(大雑把で良い)
  • 畑の土は粘土が混ざってて使いにくいのでひとまず退ける
  • 下に腐葉土を敷く
  • 最上面に土を敷く
  • 適当な間隔で苗を植えていく

今の賃貸にはガーデニング用の場所があるので、ここの土を一旦削ってどかしました。というのも、粘土が混ざり込んでいるせいで、ガッチガチに固まっており、苗を植えるのが大変だったからです。こういう土はそれはそれで根菜を育てるのに使えたりするようなんですが、もうちょっと砕いておかないと何も植わらないくらいに固まっています。

最低面に腐葉土を敷きます。腐葉土だけだと育つための栄養が足りないらしいので、その上から肥料が混ぜられた土を敷きます。境目は本当は混ぜた方がいいようなのですが、今回は混ぜませんでした。

苗は今回は特に何も調べずに適当に植えちゃいました(これダメかもしれないけど)。別に製品にするような作物とかいらないからこれでいいんですよ。

というのは店員の受け売り

今年のテーマは、「無理をしない」です。なので、お店でも、「最近オークランドに引っ越してさ、ガーデニングやろうと思ったんだけど、土ガッチガチなのよ、どうすりゃいい?」くらいの質問をしました。英語が多少できる最近NZに来た人、という感じになることにしました。そうすることで、「知らない」ということを恥と思わなくていいということに気づきました。

これまでは大して知らないことも知ったかぶることはありましたが、知らないことは素直に知らないと言おうと思いました。

すると、店員さんが、どうやって畑の土を入れるかを教えてもらいました。逃げ恥ってきっとこういうことですよね?ちがう?

店員さんは「もし粘土があったら絶対土には混ぜるな、あれはホラブルだ」と教えてくれました。確かにホラブルでした。

そんなわけで

キュウリとかトマトとか楽しみですね!

2016年、今年も終わり

こんにちは、少女漫画は嫌いじゃないですけど、使われている色彩がチカチカしてしまい近寄れません。

今年も今日でおしまいですね。2016年、とにかくいろいろありました。特に自分の周りでは本当怒涛の変化、という感じでした。

日本に3ヶ月半単身帰国

9月初日に父が他界し、日本に相続やらなんやらの手続きをするために単身帰国しました。当初はまさか3ヶ月もかかるとは、という感じでしたが、どうにかひと段落ついたので、NZに戻ってこれました。

ただ、日本の相続の制度とかもかなり勉強できましたので、勉強会できると思います。

御朱印集めが勝手に加熱

相続というストレスフルな作業でメンタルやられかけたが故に「そうだ、寺に行って僧侶の人に愚痴ろう!」とかわけのわからない動機で御朱印を集めました。

かなりレアなアイテムなんかもゲットしたり見せてもらったりしました。僧侶の皆さん、本当にご迷惑をおかけしました。そんな流れで御朱印集めが勝手にマイブームになり、途中立ち寄ったお寺で「御朱印っていうのはスタンプラリーじゃないんですよ」と軽く説教されたせいで般若心経を唱えたり、神社できちんとお参りするようになって、「昔の人がどうやって自分と世界のバランスをとっていたのか、ということを深く考えることができました。

ちなみに、御朱印は、納経の印としてもらうので、神社の御朱印はありえない、という人もいますが、神社としては、「きちんとした作法に則ってお参りをした」という記念として書いている、ということでした。ガチ神社の宮司さんに聞いたので間違い無いと思います。

他にも、観音巡りをしているという風に話すと、特別に文化財クラスの仏像を見せてもらえたり、結構立派なお寺の住職さんに逆に手を合わされたり、と結構な経験もできました。

ちなみに東武鉄道さんの「御朱印ラリー」は、言葉としてそれ言っちゃいけないでしょ、っていうネタに溢れるイベントだったと思います。

東照宮で徳川家康の位牌を見れた

なんとなく東照宮に行ってみたら、たまたま家康公が東照宮に祀られて400年だとかで、特別に家康公の位牌が公開されていました。次に公開されるのは100年後だそうです。ハレーすい星よりもレアなイベントにヒットしました。らっきーでした。

Seasar Conference Finalに行けた

日本に帰っている間に、Seasar Conference Finalに行くことができました。そして、ひがやすをさんのかつての部下とNZで友人になっているという話をひがさんとしたりできましたので、満足です。

山城君のお墓まいりに行けた

Java-Ja忘年会に行く日、朝から電車に乗り継いで山代君のお墓にお参りができました。彼が他界してからなんだかんだと予定が合わず、のびのびになっていたお墓まいり、やっと行けました。

そのあとJava-ja忘年会で、「とのっちょまだいたの!?」とか言われたりしながら参加、Seasar Conferenceよりもたくさんの懐かしい面々に会えました。

2017年の展望

来年のことを言うと鬼が笑うそうですが、笑いたい奴には笑わせておけばいいと思います。

来年は、学校が始まります。日本で言うところの大学院?マスターの一個下ですね。結構数学とかの勉強が必要で、当初やべえとおもっていたんですが、父が他界したおかげで、学校が一旦キャンセル、仕切り直しになってくれてよかったと思います。なので、まずは高校数学のおさらいなどをしたいですね。なので、学校はきっちりと終わらせたいです。

あと、家庭菜園、もうちょいきちんとやりたいところ。そんな感じです。

NZの手続き、大概のことはインターネットがあればそれで済む

こんにちは、今日軍手を買ったら両方とも右手用でした。Jガイルかっつーの

車のレジストレーションフィーの支払いが日本にいる間に期限が迫って来てしまい、どうしようか、と思っていたんですが、所定のウェブサイトでフォームにレジストレーション(自動車のナンバープレートと思えばいいです)を入れて送信したら、支払い情報が出て来たので、クレジットカード情報を送信したら完了しました。

もうちょっと遡ると、スピード違反の罰金支払いも、そんな感じでしたし、レジストレーションや免許証の住所変更も同様に完了しました。

こういうことをしていると、身分証とかの提出ってどうやってるの?ということを気にするかもしれませんが、スキャンして添付です。

NZの手続きとインターネット

NZにも、公的なもの、私的なもの様々な手続きがあります。先に書いた車のレジストレーション、罰金の支払い、これだけではなく、例えば、保険の加入やインターネットの開通、なんかもそうです。基本的な流れは割と一貫していて、

  1. 所定のURLでフォームに記入して送信
  2. クレジットカード情報を送信して支払い
  3. PDFの添付ファイルで返送

です。後から追って郵便で書類が来ることはありますが。

どのレベルまで添付?

例えば、保険の証書や領収書までは「あーありやね」と思うかもしれませんが、ビザとか、起業した証明書までも添付ファイルで届けられます。よく考えるとすごいことですね。

何でこんなのが許されるか?

こうやって何でもかんでもメールに添付して送ってよしとされている理由を勝手に考えてみたのですが、おそらく、個人に届けられるものは、あくまでも複製であって、正となるものは、行政のシステムに電子化の上管理されているということなのでしょう。要は、もし事実と食い違ったものが出て来たら、それが偽物、というふうに線引きされているんでしょうね。

・・・とここまで書いてみたものの、そりゃ普通だろ、ということですね。何で日本ではこれができないんでしょう。

この流れのいいところ

この流れのいいところは、利用する側は、完了までの時間に郵送のタイムラグを考えなくて良い、という点、対応する側では拠点の場所の自由度が上がる、という点でしょう。例えば、完了までに4〜6営業日、と言われたとき、郵送の時間を考慮にいれて、「だいたい1週間から10日くらいだな」となる必要がないところです。

海外にいると特に痛感する

日本にいながらにして、容易にNZのレジストレーションを支払えた、というようなことを日本にも可能にしてほしいですね。日本の戸籍を取る時の流れは

  • ウェブサイトから申請書をダウンロードして記入
  • 返信用の封筒、配達料金、戸籍の発行手数料等を同封して郵送
  • 後日お釣りとともに書類が郵送されて来る

です。手数としては変わらないものの、何もかもきついです。例えば、料金は日本円、為替、日本の切手以外は受け入れてもらえません。海外にいる人が日本の切手を持っているかというとなかなかないでしょうし、NZでは為替はもう取り扱っていません。なので、現地で日本円に両替して送付します。小銭は封筒に入れることはできないので必ず紙幣です。

両替にはもちろん手数料がかかるので、余計にお金を使う羽目になりますし、日本円を取りに行くための時間もかかります。

そして、郵送なので、どんなに早くても片道大体1週間かかります。EMSとか使って速達にしても、結局最短で2週間くらいかかったりします。

つまり、緊急で必要な場合はまず間に合わないので、常に戸籍を1部持っておく必要があります。まぁ、緊急で必要なことってまずないんですけど、だからと言って、これ以外にも、郵便物がロストしてしまうリスクや、現金を封筒に入れて送る不安感、また、もし記入に不備があれば何かしら訂正して再送になったりします。何かあるたびにリードタイムが1週間伸びるとかないですよねぇ・・・

何でこんなこと書いたかというと

medium.com

この記事を読んだからです。

ど文系のおっさんが中学校の数学をやり直した

機械学習やらなんやらをやるにあたっては、どうしても数学の基本的な理解が必要(線形代数とかね)なので、数学をおっさんがやり直すことにしました。

算数からやり直すのは流石にアレなので、中学校のいわゆる数学への再入門からやることにしました。と言っても、数学をがっつりできるようになる、というよりは、「基礎的なことについては話の上で置いて行かれない、というレベルまでひとまずやろう」ということにしました。

で、最初はマンガでわかるなんちゃらを読もうと思い、まずマンガでわかる微分積分を読んでみました。

マンガでわかる微分積分

マンガでわかる微分積分

で、書いたエントリーが、まぁ、いい加減にしろよ理系のお前ら、的な気分になり、どうももうちょっとライトなところから入り直す必要があるかと思い、中学校レベルなのです。で、以下の本を1週間くらいでやりました。中学校くらいの内容であれば、1週間あればサラッとできる程度には覚えていて良かったですね。

中学3年分の数学がこれ1冊でいっきにわかる もう一度 中学数学

中学3年分の数学がこれ1冊でいっきにわかる もう一度 中学数学

さすがに序盤は知っていることだったので(数学者がいうレベルでの理解には到達していませんよ?あらかじめ言いますけど)、サーっと流す感じでやりましたが、なんか、何十個もあるデータから中央の値を出しましょうとかは表計算やプログラムでやったりしました。

大人になって触れると違った面白さがあり、学校の数学がイケていないような気がした。

今の歳になってから数学を「自分のペースで」やるにあたって、「おお、こいつこんなこと考えるとか天才じゃのう」とか「あー、あの時こういう感じに先生が言ってたのか?いや、言ってないよなぁ・・・」とか、そういう感じのことを思い出したりして楽しかったです。ただ、空間図形とかになると途端にきつくなるので、おっさん化しているのか、よくわかんないけど、ひとまずやりきりました。

ただ、読んでいると、少し微分的なことをしていたりしてましたね。終盤のないようだったので、少し高校の数学にかぶせていたのでしょう。ただ、終盤では、「これを高校でやらなくなったので、大学の過程で苦労することになった」とかそういうことも書いてあったりしたので、若干のリアリティを感じました。

時間でいうと、多分20〜30時間くらいでしょうか?

あとは、学校はやはりいつまでに何をやるかが決められた世界で進んでいくために、「理解しているかどうか」というのは度外視して進むという点がやはりあるなと思いました。「分かった?え、分からなかった?じゃぁ、きちんと復習してね」で流されると、やはり、子供によっては「才能ないな」と思っちゃう子もいるかもしれません。

このくらいのボリュームが丁度いい

例えば、難しい問題集になると、「そのことが分かっているだけでは解けない問題」が目白押しなわけです。例えば、因数分解ができるだけではとけないような複雑な式の因数分解(一旦足したり引いたり掛けた理割ったりしないと答えにたどり着かない的な)とか、そういうのは流石に「いやこれ、理解度じゃなくてとんちだろ・・・」という気分になってげんなりします。

いきなり高校数学には入れない人にはオススメ

中学校の数学というのは、やはり「素直に計算をすれば解ける」というレベルのことだし、抽象的なことも少なめですから結構リハビリには丁度良いと思いました。

あと、思ったのは、中学で数学をやるときに「抽象的な考えをしている」というのを聞いた覚えがないなと思いました。確かに「それって実例に当てはめるとどうなの?よくわかんないなぁ」とよく思っていたのを覚えています。そういうの良かったんですよね。

なんでこういうことをやっているか

というと、こちらで学校が始まるまでに、高校数学まではおさらいしておきたいんですよね。で、その辺を来年からやろうかなとか思っていたので、年内に中学数学を一通りおさらいしておこうと思ったのでした。今年の汚れ今年のうちに、ということですね。

納得いかない・・・

この本の中で、円柱の体積から円錐の体積を引くと球の体積になる、という話があり、計算の上ではそうなることも確認できたのですが、なんでか納得いかない・・・だって、丸いのとまっすぐなの一つにしたら柱になるんですよ!?おかしくない?っていうかなんで合わされるの?

ほんと数学やってる人たちはいい加減にしてほしい、調子に乗らないでほしい。

○+▽=□

なにこれ、なんの歌だよ・・・

日本人がどうして英語ができないのか、というので少し考えた

shijinblog.hatenablog.com

上記記事を読んでみて、日本人が英語を話すことができない、という点について少し考えてみました。

大体の人は英語の基礎は身についているはず

当然、何もかも忘れていなければ、という条件はつくんですが、日本の義務教育をそこそこの成績で終わっていれば、文科省の想定では、英語を運用するための地力はついていることになります(この辺に自分が英語を勉強する人にまずは英検3級取りましょうっていう理由があります)。

第2章 各教科 第9節 外国語:文部科学省

ただ、ここで注意しないといけないのは、あくまでも基本的なコミュニケーションができる基礎が身についていること、であって、コミュニケーション自体ができるかどうか、ではないのです。なので、本当の意味で話したりなんなりするには、これらを用いてもういっぽ前に出る必要はあるかもしれません。

で、日本における英語の最大の問題はこの「一歩前に出る」という点にあるのではと思っています。

日本は英語を安心して話せる国か?

ちょっと話は変わりますが、日本は少子高齢化がひどく進んでいます。この原因は、「安心して子供を産み育てることができない」という点にあると思っています。つまり、何かをするときに「安心してできる」というのは非常に大事なんだと思います。

ということは、日本人が英語を話せない、というのは、日本において「英語を使う」ということに対する安心感がない、ということのような気がします。

中学校の時とか思い出してみると、自分は中学校までは結構本気で英語を勉強していたのですが、クラスメートからは、いちいちチクチクと発音がいけてない、とか、いつもいい成績でいいねえとか、しまいにはあいつ英語できんのマジつまんねえとあからさまにムカつかれたりしました。

ようは、英語を勉強する、ということに対してクラスメートからネガティブな評価を受け続けたわけです。最後のやつとか言われた後は、英語の授業では沈黙することにしました。あいつら英語の成績自分より低いくせにそういうことばかり突っついてくるわけです。そのせいか、今でも日本人の多くいる空間では英語を話したくないと思っています。

さすがにみんな今は大人ですから、いちいち茶化したりチクチク言ったりはもうしないんでしょうけど、結局日本人のいる空間で英語を話すことに対する不安感が拭えなくなっているわけです。他の科目ではよくできるからといっていちいち茶化されたりはないと思うんですが、なんで英語だけあるんでしょうね?他の科目成績悪かったんだから、英語くらいで輝かせてくれたって良さそうなものです。

他にも、友人が海外に行って、英語でどうにか話している横で、何も言わないくせに「今の過去形の方が良かったんじゃない?」とか「三単現のsつけてないじゃんwwwww」とか言われてうんざりしたエピソードも聞いたことがあります。

息子の中学校の授業参観で英語の授業を見たのですが、相変わらず日本的棒読み発音でてれってれで音読していたり、全部帰国子女の子供に授業の課題を押し付けようとする子がいたあたり、相変わらず英語を使う安心感は醸成されていないような気がします。先生がいくら自信を持ってはっきり大きい声で英語を話しましょう、といったところで、効果なさそうです。ALTのアメリカ人の先生がいて、ネイティブな英語に触れてたって、そんなもんです。

海外に行った人が英語を話せるようになるのは

当然英語の国にいるので、英語を使わざるを得ない、というのはあります。ですが、自分の場合は、英語の知識については、相変わらず中学校レベルのものを利用しています。多分、英語の知識としては、全体として、5%くらいしか増えていないと思います。単語についてもあんまり増えていません(聞いて意味のわかる単語は劇的に増えたけど、自分が使える単語はあまり増えてない、という意味です)。相変わらず辞書をひきながらの生活です。

海外に行った人というのは、実はレベルの差はあれど、この状態なのだと思っています。ただ、ひとつ大きく違うのは「英語を話してもいいんだ」という実感を得たということじゃないでしょうか。

安心感は得点からは得られない

TOEIC900点とったけど英語話せません!って自信満々にいう人がいます。客観的に考えて「そんなわけないだろ」と思います。そんだけ取れるなら、ある程度話せるだろうし、ちょっとトレーニングすればすぐに相当話せるようになるだろう、というのが正直な感想です。ですが、本人は英語が話せないというのです。

これって、下手すると嫌味ですよね。人によっては怒るかもしれません。ですが、その気持ちも少しわかります。ようは、英語を安心して話せないんです。とった得点は自分のものですが、安心は自分と周囲の関係の中に存在していると思います。

元のエントリーでいろんな勉強法があってなんで?という点ですが、実践した人がTOEICやらなんやらで高得点をマークしているでしょうけど、それと英語が話せないは、自分としては矛盾しないと思っています。

多分こういう人たちは、「あーあの人xxって言ってるなあ」とか「あの人困ってるから助けようかな、英語ではxxっていうよね」とか、そういう感じにはなっていると思うんですが、その言葉が口から出ないんではと思っています。結果としての評価は「英語が話せない」ではあるものの、どういうレベルで話せないかは相当違うということです。

そういうわけで、実はかなり英語ができるけど、安心感がないので英語ができない(出来るといいたくない、やる覚悟を持つパワーがたりない)、というところにいる人って、かなりいると思います。

英語を話す安心感を教育で手に入れることはできるか

つまり、日本で安心して英語を話せる、という環境が作られれば、英語を話せるという人はガバッと増えると思います。当然との程度話せるかは違うけど、「程度はともかく話せるよ!」くらいのことが気軽に言えるのがいいと思っています。で、「あー、俺の英語じゃダメだ、おい、そこのあんたどうにかしてくれないか?」みたいな状況があれば、英語を話す安心感があるっていうことなんだと思います。

では教育の現場でどうやったら英語を安心して使って良い、ということを教えられるんでしょうか。そこは大変難しいポイントだと思います。学校が教え方を工夫しても、社会として変わらないといけません。視点を変えると、子供達が中学校に入って、英語を学校で始めるまでに、何故ここまで安心できなくなっているのか、というところです。

英語の教育で問題があるとすれば

「こういう答えでないと不正解」という数学的なものを言葉の世界に持ち込んだところかもしれません。「どんな言い方であれ自分の意図が通じている以上それは正解」という経験をどこかで積ませた方がいいのかもしれません。その上で、「こういう言い方がよりエレガントである」という世界に触れさせる、的な?

まとめ

英語を話せるかどうかは、試験の得点ではなくて、安心感であると思います。安心感さえあれば、多分ハローグッバイサンキュープリーズだけでも頑張って話すような気がします。